2015年9月21日月曜日

セッション























映画『セッション』を観た。

演技、撮影、編集、音楽の抑制と高揚のバランスが素晴らしいことはいうまでもないが、この映画の真の醍醐味は、そのシナリオに潜む鮮烈なメッセージにある。単純に面白いでは済まされない、研ぎ澄まされた人生のエッセンスを観る者に投げつけてくる。

仏教における「乞眼のバラモン」の話を思い出す。釈尊の弟子である舎利弗は、眼がほしいというバラモンに自分の眼をくりぬいて差し出してやったら、バラモンはその眼を「臭い!」といって地面にたたきつけて踏みつけてしまう。それで頭にきた舎利弗はここれまで延々と続けてきた修行をやめてしまったので、成仏への道を閉ざしてしまうのである。

また、「雪山童子」の話も思い出した。鬼が経文を唱えている。その経文に感動した童子は、続きを聞かせてほしいと頼むが、鬼は、童子が身を捧げてくれたら教えてやるという。童子は身を捧げることを約す。鬼は経文の続きを教えると、童子は約束通り身を投げるが、鬼は実は帝釈天であり、空中で童子を受け止めるのである。童子は釈尊の過去世の姿であり、その求道心によって仏になるのである。

人があえて茨の道を選ぶとき、「もうやめよう」と思うときがある。そんな時が、人生の勝負所かもしれない。もちろん、やめた方がいい場合もある。その判断が価値あるものかどうか、自分が一番分かるはずだ。



 

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