2012年10月21日日曜日

パリ、テキサス



映画「パリ、テキサス」を観た。開放感ある鮮明な画の中でアメリカ南部の乾いた空気と同化したライ・クーダーのスライドギターが太陽光とそれに晒される孤独を的確に表現し抜いている。乾いた土地にナスターシャ・キンスキーの美貌が切なく咲き誇る。最後は男と女の「これでいいのだ」と思わせる結末の説得力にひれ伏すだけだ。

「女は門開き」という言葉がある。記憶喪失のやつれた主人公が放浪の果てに思い出したのは愛した女との思い出だった。疲れ果てた無口な男は自由を求め過ぎてアウトサイダーになった不器用な男の典型であり、かつて「俺達は負けた」とつぶやいたイージー・ライダーのキャプテン・アメリカが脳裏を横切る。そんな男の、挫折が深すぎて感情が届かず壊死寸前の心の「門」を開き、荒田に水が流れるように潤わせていくのも愛する女との思い出である。

鮮明な輝きが衰えない思い出はつい昨日の事のように思い出すことができる。最高だった頃の自分を引っぱり出して能力の衰えに挑むための本能かもしれない。

思い出の輝きを「速度」とし、過ぎゆく余生を「時間」とするならば、その輝きが強ければ強いほど限りなく遠くまで生きて行ける気がする。



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