2012年8月5日日曜日

息もできない



映画「息もできない」を観た。製作・監督・脚本・編集・主演は本作がデビュー作となるヤン・イクチュン。彼自身がその心のなかに貯めこんできたものを「息もできない」ほどに一気に殴り書きするような映画、本能をむき出しにするヤン・イクチュンそのものを観る映画である。

意図された恋愛モノではない。監督自身さえ予期しない男女の特別な感情の高まりがカメラに映されているのを私たちは目撃するだけである。作りものでありながら、作りものではない。監督は、俳優には演技ではなく表現すること、ワンテイクで「吐き出す」ことを求めた。



















怒涛の中で、静かな「眼差し」のロングテイクが印象に残る。人は高速で思いを巡らして何らかの悟りヘ向かうとき、一点をじっと見つめる。そのショットは観るものをスリリングに引き寄せて当事者へと巻き込んでいく。余計な台詞は必要ない。量産型のテレビドラマではあまり見かけない手法であり、私が映画を好む理由の一つである。

「眼差し」が印象に残るもう一つの映画が、ボアーズ・イェーキン監督の「フレッシュ」(1994)。ブルックリンを舞台に麻薬売人の少年を描いた、ボアズ・イエーキンの監督デビュー作。

映画評論家ロジャー・エバートはChicago Sun TimesのMovie Reviewsで、、『最近の映画の中のキッズはテレビドラマのように早口で台詞を読むマシーンのようであり、立ち止まって思慮深く自省しない。「フレッシュ」は違う』と評している。
Characters are never at a loss for words in the movies. They talk quickly, never hesitating or repeating themselves. Kids are especially articulate, like well-trained little word machines. Movies are getting to be more and more like television, where there's never a moment to spare.

Fresh isn't like that.


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